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東京地方裁判所八王子支部 昭和58年(ワ)817号 判決

原告

前田正義

右訴訟代理人弁護士

山本哲子

林勝彦

平和元

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

野崎守

外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、五、二一六万二、二八三円及びこれに対する昭和五八年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一、二項同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五四年一二月一九日、午後零時二七分頃、東京都福生市大字福生二二四三番地先路上において、原告の進路前方の坂下から、訴外ラーソン・マイケル・G(以下「ラーソン」という。)運転の普通乗用自動車(以下「本件車両」という。)が進行して来るのを認め、同車の通過を待つべく運転していた自転車を降りて、同道路左端に寄つていた際、ラーソン運転の本件車両に自転車もろとも衝突される事故(以下「本件事故」という。)に遭い、頭部挫傷、脳震蕩、左手部挫創、頸部捻挫傷の傷害を受けた。

2  本件事故はラーソンの過失により発生したものである。即ち、

本件事故現場は、中心線も歩道もない幅員約五メートルの道路で、車が漸く二台すれちがうことができるほどの狭さであり、しかも、緩かなS字型を描くカーブの坂道で、道路の両側には住宅が建ち並んでいるのであるから、かかる狭くて湾曲している道路を通過するに当つては、車両の運転者としては、前方をよく注視して進行すべき注意義務があるものというべきところ、ラーソンは、これを怠り、慢然と本件車両を進行させたため、前方に原告が自転車から降りて待機しているのを発見できず、何らの制動処置をもとることなく原告及びその自転車に本件車両を衝突せしめたものである。

3  ラーソンは、本件事故当時、米軍横田基地第三一六整備中隊に所属していたもので、本件事故はラーソンの出勤途上で発生したもので、同人の職務上の行為によるものであるから、被告は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う民事特別法」(以下「民特法」という。)第一条の規定により本件事故により原告が被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

なお、民特法第一条に定める「職務を行うについて」とは、職務行為のみならず、その手段としてなされる行為及びこれに関連附随してなされる行為で、客観的に職務行為の外形を備える行為であれば足りる。

本件事故は、勤務時間帯である午後零時二七分頃、米軍の制服を着用したラーソンが、友人所有の自家用車を運転して、公務のため勤務先である米軍横田基地に向う途中の事故であつて(米軍横田基地の通常の勤務時間は午前七時三〇分から午後四時三五分までで、本件事故は右時間内に発生したものであるから、出勤途上の事故と同一視することはできない。昼の休憩は、午前の仕事と午後の仕事の中継ぎとして、昼食を摂り、午後の勤務に備えて、仕事に臨む態勢を準備万端ととのえる時間であるから、自由意思により利用し得るとはいえ、職務行為に極めて密着した時間である。)、米軍人は、基地内の官舎に居住することを原則としているが、横田基地内の宿舎不足のため、ラーソンは所属部隊司令官の許可に基づいて基地外に住居を構えたもので、そのため、昼食を摂る必要から、軍服、軍靴、軍用帽子着用のうえ、自動車で日常的に基地と自宅との間を往復していたものであつて、米軍はラーソンの右行為を容認していたのであるから、本件事故は米軍人たるラーソンの職務を行うについてなされたものというべきである。

4  原告は、本件受傷により、昭和五四年一二月一九日から同月二五日まで七日間福生市内の医療法人社団大聖病院に入院し、その後翌五五年四月一五日まで同病院に通院した(この間の実治療日数は八九日)が、なお、後遺症として、極度の記銘力障害、指動障害、左半身痙性麻痺及び精神作業能力の著しい低下があり、本件事故により原告が被つた損害は次のとおりである。

(一) 入院雑費 四、二〇〇円

一日六〇〇円として七日分

(二) 休業損害 七二七万八、一四〇円

原告は、本件受傷により開業後間もなかつたクリーニング業を廃業せざるを得なくなり、現在は生活保護を受給している。

本件事故当日たる昭和五四年一二月一九日から症状固定日である昭和五七年五月三一日までの間の休業損害を、昭和五四年度賃金センサスによる男子五六歳の平均給与額三一七万〇、四〇〇円を基礎に計算すると、七七六万七、四八〇円となるが、すでに受領ずみの自動車損害賠償保証保険金四八万九、三四〇円を控除すると右金額となる。

(三) 慰藉料 五九万四、七四〇円

重傷として入院一か月につき二九万三、〇〇〇円、通院一か月につき一四万七、〇〇〇円(但し、三か月で四三万九、〇〇〇円、四か月で五五万六、〇〇〇円とする。)として算出すると右金額となる。

(四) 後遺症慰藉料 一、七〇一万円

原告の後遺障害の程度は障害等級表第一四級と認定されているが、精神作業能力の極度の低下、記銘力障害により精神に著しい障害を残し終身労務に服することはできず、かつ、左下半身及び指の神経系位機能に障害を残しているので、後遺障害等級は第二級とみるのが相当であり、受領ずみの自賠責保険金七五万円を控除すると右金額となる。

(五) 逸失利益 二、二五三万五、〇〇〇円

後遺障害等級第二級で、労働能力喪失率一〇〇パーセントとして、前記平均給与額にライプニッツ係数を乗じて算出すると右金額となる。

(六) 弁護士費用 四七四万円

原告の経済的利益の約一割

5  よつて、原告は、被告に対し、以上の損害金合計五、二一六万二、二八三円及びこれに対する不法行為後である昭和五八年九月三〇日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1項の事実中原告主張の日時場所において本件事故が発生し、原告がその主張の傷害を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。

2  第2項の事実中本件事故がラーソンの過失により発生したものであることは否認するが、その余の事実は知らない。

3  第3項の事実中本件事故当時ラーソンが米軍横田基地第三一六整備中隊に所属していたこと、本件事故が昼休みの休憩時間中にラーソンが友人所有の車両を運転して基地に向う途中に発生したものであることは認めるが、その余の事実は不知、本件事故当時のラーソンの本件車両運転がその職務を行うについてなされたものである旨の主張は争う。

民特法第一条に定める「職務を行うについて」とは職務行為のみならず、その手段としてなされる行為及びこれと関連附随してなされる行為をも含み、客観的に職務行為の外形を備える行為であれば足りることは原告主張のとおりである。しかしながら、本件事故の如き自動車事故のような事実行為の場合には、取引行為とは異なり、行為の外形に対する相手方の信頼についての考慮は除外され、専ら客観的に使用者の支配領域内の事柄か否かにより決すべきである。

米軍においては、所属軍人に対し、職務行為自体ないしはこれと密接に関連する行為として自動車の運転をさせる場合には公用車を使用することとし、自家用車の使用は禁じられているから、自家用車の運転は必然的に私用に限られ、それは軍人個人の全くの自由意思と責任に委ねられている。

本件事故当時、ラーソンは米軍横田基地内において、航空機の整備作業に従事していたもので、右職自体ないしこれと密接に関連する行為として、基地外において自動車を運転することはなく、右職務内容に照らして明らかなとおり、米軍としては、ラーソンに対し、公用車、自家用車を問わず、右職務行為ないしはこれに密接に関連する行為として基地外において自動車を運転することを命令、助長又は容認したことはない。

ラーソンは、住居を基地から約七〇〇メートル離れた福生市大字福生八六〇番地P5に構えていたので、日常右自宅と基地との間の往復に自家用車又は自転車を利用していたもので、本件事故当日も昼休みの休憩時間(なお、昼の休憩時間の利用法についても、昼食をどこでとるか等については軍人個人の自由意思に委ねられており、米軍の規制は及ばない。)を利用して自宅で昼食を摂つた後、休憩時間中である午後零時二七分頃、再び勤務に就くため友人所有の本件車両を運転して自宅から基地へ向う途中であつたもので、右自動車の使用は専らラーソンの個人的便宜(ラーソンの自宅と基地との間の前記距離からして徒歩通勤は可能である。)によるものであるから、それが本来の職務行為に当たらないことは勿論のこと、職務行為の延長ないしこれと密接な関連を有する行為にも当らず、右行為が客観的、外形的に観察して米軍の支配領域に属すると認められないことは明らかである。

4  第4項の事実中原告がその主張のとおり入通院したことは認めるが、その余の事実は知らない。

三  抗弁

1  本訴提起は、本件事故当日たる昭和五四年一二月一七日から三年以上経過した後である昭和五八年六月二四日になされているから、仮に被告に損害賠償責任があつたとしても、右損害賠償債務は時効により消滅に帰したので、右消滅時効を援用する。

2  本件事故後、原告に対しては、自動車損害賠償保証保険による保険金とて、A・I・U保険株式会社から、昭和五五年五月一日、一二〇万円(内金四万五三四〇円は直接原告に、残金七一万四、三六〇円は原告が治療を受けていた前記大聖病院に支払われた。)が傷害治療に係る損害に対するものとして、昭和五六年六月九日、七五万円が後遺障害に係る損害に対するものとして支払われており、これにより原告が被つた損害はすべて補填された。

3  本件事故現場における原告の進路は、S字のカーブを描く下り坂にさしかかるところであつたから、原告としては、自転車の速度の出過ぎに備え、予め適切なハンドル、ブレーキ操作をし、十分減速しつつ、カーブ沿いに道路左端の安全な進路をとつて進行すべき注意義務あるものというべきところ、原告は、これを怠り無謀にも坂の上から同道路中央部を斜めに横切るように直進し、停止と同時ないし停止直後にラーソン運転の本件車両に自ら衝突したものであるから、本件事故の発生については、原告にも重大な過失があるものというべきであつて、右過失は原告の被つた損害額の算定に当り斟酌さるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  第1項の主張は争う。本件の如き交通事故の場合には、受傷時においては、具体的な被害の程度、治療その他に要する金額が明確でないから、その損害賠償債務についての消滅時効の始期は、本件交通事故に係る被害についてのすべての治療が完了したときより進行すると解すべきである。従つて、本件においては、後遺症の症状固定時である昭和五七年五月三一日から時効は進行するものというべきであつて、同年六月二四日の本訴提起時には未だ時効は完成していない。また、百歩譲つたとしても少なくとも後遺症による損害の賠償債務については右症状固定日から時効が進行することは当然である。

2  第3項の事実は否認する。

五  再抗弁

1  本件では、昭和五五年五月一日に保険会社から治療費、慰藉料等が支払われたが、治療費等の支払は、本件交通事故にかかる全損害についての損害賠償債務を承認したことにほかならないから、この時点で時効は中断した。

そして、通常ならば、それから三年経過した昭和五八年五月二日の到来により時効は完成することとなるが、原告は支払われた慰藉料額に不満をもつていたので、その後も本訴提起までの間、昭和五八年一月一日以後も再三にわたり、昭島市所在の防衛施設事務所を訪ね、慰藉料等の請求をし、その時から六か月以内である同年六月二四日に本訴を提起したので、遅くとも昭和五八年一月一日をもつて再度時効は中断した。

2  仮にそうでもないとしても、本件において時効の完成を認めることは信義則に反する。

原告は事故時に加害者がラーソンであることを知り得たが、同人はすでに昭和五六年秋には米国に帰国してしまい、原告は直接の加害者であるラーソンから賠償を受けることしか考えていなかつたため、同人が帰米してしまつたことは、原告の損害賠償請求権の行使を事実上不可能たらしめることであつた。加えて、原告は、本件交通事故の受傷により、知能指数が五〇と極端に低下し、正常な判断能力さえも欠如する状態であつたこともあつて、加害者本人であるラーソンに対して請求するほかに被告に対し国家賠償の請求をなし得ることには到底思い当らず、その方途をとることは不可能であつた。このことからすれば、原告は民法一五八条にいう無能力者ではないが、無能力者と同等の保証が与えられるべきである。

したがつて、本件において時効の完成を認めることは、右法条の趣旨にも反し、信義に悖るものというべきである。

六  再抗弁に対する認否

いずれも争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一昭和五四年一二月一九日午後零時二七分頃、東京都福生市大字福生二二四三番地先路上において、米軍横田基地第三一六整備中隊所属の米国軍人であるラーソン運転の本件車両と原告が衝突する事故(本件事故)が発生し、原告が頭部挫傷、脳震蕩、左手部挫創、頸部捻挫傷の傷害を受けたことは当事者間に争いがない。

二ところで、〈証拠〉によれば、ラーソンは米軍横田基地における官舎不足のため、所属部隊の司令官から基地外居住の許可を受け、横田基地第二ゲートから約七〇〇メートル離れた福生市福生八六〇番地P5の住居を賃借して居住していたこと、ラーソンは、昼食時には自転車あるいは自家用車で自宅に帰つて食事を摂ることを常としており、本件事故当日も、昼休み時間中、制服、制帽を着用したまま友人の自家用自動車を運転して自宅に帰り、昼食を摂つて基地に帰る途中本件事故に遭つたことを認めることができる(本件事故が昼休みの休憩時間中にラーソンが友人の自家用車を運転して自宅から基地に向う途中で発生したことは当事者間に争いがない。)。

三そこで、まず、ラーソンの本件事故発生当時における本件車両の運転が米国軍人であるラーソンの職務を行うについてなされたものであるか否かについて検討する。

〈証拠〉によれば、本件事故当時の米軍横田基地における通常の勤務時間は午前七時三〇分から午後四時一五分までであつて、昼休み時間は、午前一一時から午後一時三〇分までの間に所属部隊が指定する任意の四五分間とされていたこと、そして、昼食時における食事場所の選択は自由であり(それは、規律の問題というよりも慣習の問題であると理解されていた。)、昼食を摂るため基地外へ出る場合必ずしも私服に着替える必要はないとされていたこと、また、軍人が私有車を運転することは自由であり、自動車損害賠償責任保険並びに任意保険に加入することは軍人が遵守すべき規則とされていたほか、米軍としては所属の軍人の私有車の運転には何ら規制を加えていないことが認められ、更に、前記のとおり、ラーソンは横田基地の整備部隊所属の軍人であつて、車両の運転はその職務内容をなすものではないと解されることを考慮するときは、ラーソンの本件車両の運転は、ラーソンの職務行為そのものであるといえないことは勿論のこと、その手段としてなされる行為、あるいはこれに関連付随してなされる行為であつて、客観的にみて、米軍の支配領域内にある行為であるとみることも困難であるから、民特法第一条所定の職務を行うについてなされたものということはできないものというほかはない。

従つて、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく棄却を免れない。

四よつて、原告の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担については民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官落合 威)

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